ITエンジニア企業・佐伯社長物語—第2話ー(波紋と変化)
- tsunemichiaoki
- 1月6日
- 読了時間: 10分
ハーモニー経営の一端を垣間見ていただくために、あるITエンジニア企業の社長の苦難、そしてそこから這い上がる物語をお伝えします。

第2話
小さな波紋の広がりと、見え始める変化
■ 最初の小さな反応
翌週、佐伯はアンケート結果を元に、社内掲示板にコメントを返した。匿名の形ではあったが、なるべく社員一人ひとりに寄り添う言葉を選ぶ。
「皆さんの声、しっかり受け止めています。何が問題か、どう感じているか、理解した上で少しずつ改善策を検討します」
数分後、すぐにリアクションが返ってきた。中村からは、「見てくれているだけで嬉しいです」と短い一文。
小さな文だが、佐伯の胸に暖かい光が差し込む。
(やはり、伝わるんだ……)
普段は口数の少ないエンジニアたちが、少しずつ“声を返す”ようになってきた。匿名であれ、文章であれ、存在を認められることが、人を動かす一歩になる。
■ 雑談の時間を設ける
佐伯は、早速次の施策を決めた。部門横断の雑談会を週に一度設定すること。強制ではなく、希望者のみ参加する形にした。
初回の雑談時間。参加者は3人だけだった。
もう少し来てくれるかと思ったがさすがにその佐伯の考えは甘すぎた。
だが3人でも来てくれたことだけでも感謝すべきことだった。
そして出てきた言葉は、
「最近、プロジェクトで迷うことが多くて…」
「評価って結局、どう決まるんですか」
「上司に相談しづらくて困っています」
佐伯は、黙って耳を傾けた。指示や回答を与えるのではなく、まず受け止める。その姿勢が、彼らの心に“安全地帯”を生もうとしていた。
■ 現場からのリアルな声
翌週は時間になってもだれも来なかった。
さすがに佐伯は落胆した。
なぜ誰も来ないんだ。
社長の自分がこうやって気を配っているのに……。
佐伯にはまだ事態が把握できていなかった。
あくまで自分中心のスタンスから抜け出せていない。
そのことに気づくにはまだ試練が必要だった。
その翌週もだれも来なかった。
さすがの佐伯も気づいた。
自分の都合しか考えていなかったことを。
中村のところにすぐさま飛んで行った。
「やっぱり今日も無理か……」
「社長、すみません、参加したいのですが、ちょっとトラブルに巻き込まれていまして……」
「そうか、それはすまん、何か手伝えることはないか」
「いえ、大丈夫です。ようやく解決策のめどがさっき立ったところなので、あと1時間もあれば事態は収拾できると思います」
「そうか、じゃあ、頑張ってくれな」
「はい、ありがとうございます」
鈍っていた佐伯のアンテナもようやくチューニングされつつあった。
(自分は現場の温度感を感じられなくなってしまっていた……)
翌週、雑談会の開示時刻の3時間前からメッセージを送り始めた。
「今日の雑談会、出席できるかな、と思える人はフラグ立ててください!」
3人がフラグを立ててくれた。
中村以外の2人は初回に参加してくれたメンバーとは違った。
その3人に個別メッセージを送る。
「開始1時間くらい前にまた状況聞かせください。急な対応が必要になった場合は業務優先です。場合によっては、開始時刻をずらすことも考えますので遠慮なく教えてください」
実際そのメッセージを送ると2人が
「急な対応が入って間に合いそうにありません。30分くらい遅れて参加でもいいですか?」
と言ってきた。
ようやく佐伯も分かりかけてきた。
(そうか、今の現場はそれほど急な対応が頻繁に起きて、自分で自分の時間をコントロールすることもままならないのか)
連絡のなかったひとりに開始時刻を30分遅らせても大丈夫か連絡を取ることにした。
問題ありません、という返答を受け取って、改めて掲示板に書き込んだ。
「今日は参加できそうな方出ていますので、雑談会開催です。
ただし急な業務対応が入っているメンバーもいるので、時間は当初予定から30分後ろにずらします。
もしそれなら参加できそうだな、と思える人は、途中参加でも構いませんので、遠慮なく入ってきてください」
佐伯のその変化は社員に届き始めた。
その日は、終盤になってひとりが
「今何とか業務が片付いたのですが、参加できますか」
と言って入ってきてくれた。終了10分前だったが、佐伯にとってはとてもうれしい瞬間となった。
この時の経験が佐伯を少しだけ大人にした。
翌週からは、少ない人数であっても雑談会は継続して開催できるようになっていった。
そして数週間が経つと、社員からさらに具体的な声が上がってきた。
案件先で孤立し、情報共有が遅れる
常駐先での小さなトラブルも報告しづらい
キャリアの方向性が見えず、将来への不安が強い
これらは数字や報告書だけでは見えない課題だった。
佐伯は、経営者として“見えないものを可視化する”ことの重要性をようやく実感しはじめていた。
■ 上級管理職との静かな戦い
しかし、全てが順調に進むわけではなかった。部長クラスのスタッフは「そんな雑談会で何が変わるのか」と懐疑的だった。
会議でその話題が出るたび、佐伯の胸はざわつく。
「現場の声を拾うことは大切ですが、業務効率を落とすリスクがありませんか」
ある部長は数字を重視し、効率や利益を優先する立場だった。佐伯は反論したい思いをぐっとこらえ、いったんその部長の意見を受け止める姿勢は示す。
(ここで感情的になっても、逆効果になる……)
社長として、波紋を投げかける一方、既存の組織文化と折り合いをつける必要があった。
■ 一人の気づき
雑談時間の終了後、中村が佐伯に近づいてきた。
「社長、先日のアンケートのコメントを見て思ったんですけど……」
彼の目は真剣で、少し光を帯びていた。
「自分たちが思っていることを、ただ伝えるだけでも変わるんだなって」
佐伯は静かにうなずく。
「そうだ。小さな声が集まれば、大きな力になる」
社員一人の意識が変わる瞬間、それは組織全体に“静かな波紋”を広げる第一歩だった。
■ 変化の兆し
その後、雑談会を毎週開催は無理が多い、という意見が出て、月1回の開催に変わった。
数か月が経過した。
1回ごとでは特に変わったことは感じられないようではあったが、数か月の単位で見ると、社内の雰囲気が少しずつ変わり始めたことに佐伯はあるとき気づいた。
雑談会は、わずかずつではあるが参加する社員が増えていた。
そして、匿名でのコメントもぽつぽつではあるが出てくるようになっていた。
数字や成果だけで測れない、社員の“誇り”や“安心感”が見え始める。
プロジェクトマネージャーからも、「報告内容が少しずつ具体的になり、現場の課題が早く分かるようになった」との声が上がった。
佐伯は、胸の奥でじわりと熱を感じた。(これは、まだ小さいけど……確かに動き出した)
■ 創業者としての責任
佐伯は、夜のオフィスで一人デスクに向かう。
“会社は人で成り立っている”
創業当初からの信念だ。
だが、規模が大きくなると、その信念を実行することは難しくなる。
社員の声を拾い、距離を縮める。小さな波紋を広げることで、やがて組織文化の改善につながる。
創業者としての責任を、改めて実感する瞬間だった。
■ 次への布石
佐伯は次のステップを考え始めた。
雑談時間やアンケートのフィードバックを整理し、部長会で報告する
部署間で横断的な改善案を小規模で試す
現場の“誇り”を意識したプロジェクト進行の仕組みを検討する
小さな動きだが、確実に“見えない絆”が形を取り始める。ここから組織全体にどのように影響が広がるのか。
それは、次回以降の物語で描かれることになる。
■ 社内会議での孤立感
佐伯社長は午前の経営会議に、少し重たい足取りで入室した。
会議室のテーブルには、部長たちが資料を前にして座っている。社長として創業期から会社を育ててきた佐伯だが、最近の自分の思いが組織に届いていないことを痛感していた。
「では、次に営業企画部からの報告をお願いします」
司会役が声をかける。営業企画部は佐伯が部長を兼務しているため、ゆっくり立ち上がり、手元の資料をめくる。今日はただの業務報告ではない。社内の閉塞感を打破するための、小さな挑戦でもあった。
資料の1ページ目にはこう書かれていた。
『我々の使命——社員の成長と誇りを取り戻すために』
会議室の空気が、わずかに張りつめる。佐伯は深呼吸をして話し始めた。
「我々はこれまで、売上と納期を最優先してきました。それは間違いではありません。しかし、それだけで社員が誇りを持てているでしょうか。客先常駐の多い現場では、直接的な評価も少なく、若手は自分の仕事の意味を見失いかけています」
一同は無表情で、ただ資料を見つめていた。その無表情の奥に、かすかに緊張が走るのを佐伯は感じた。
「社員の声をもっと拾い上げる場を作りたい。小さくても構いません。現場の声を経営に届け、誇りを感じてもらうための対話会を開きたいのです」
数秒の沈黙。会議室の空気は、厚い雲のように重い。
先に口を開いたのは、管理部の部長だった。
「社長のお気持ちは理解できます。しかし、今はプロジェクトの納期管理や顧客対応が最優先です。理念の話は、もう少し落ち着いてからではないでしょうか」
別の部長も続けた。
「現場の声を拾うのは良いお考えと思いますが、過度に強調すると組織のバランスを崩す恐れがあると思います。慎重に進めるべきではないでしょうか」
佐伯は小さくうなずいた。胸の奥に、冷たい感覚が広がった。
(やはり届かないか……)
声を押し殺すように話す自分と、目の前の無表情な役員たち。心の中で小さな葛藤が渦巻く。
それでも佐伯は、淡々ともう一言加えた。
「不安を煽るつもりはありません。ただ、このままでは社員の誇りが失われ、離職も増えかねません」
再び沈黙。誰も口を開こうとしない。佐伯は席に戻ると、深く息をついた。
■ 廊下でのささやかな光
会議後、佐伯は廊下を歩いていた。疲れた体に重さを感じつつ、ふと、社内でもっとも年配の部長である西田が声をかけてきた。
「社長。先ほどの会議では何も発言せず申し訳ありません」
西田の声には素直なお詫びの気持ちがこもっていた。
「あの場で私が社長に賛意を示すと、彼らには結局従え、ということかという感情を抱かせてしまうのではないかと思い、黙っていました」
「えっ」
「今まで傍観していて申し訳ないと思っておりましたが、社長にもお考えがあって、雑談会を苦労しながら開催しているのだろうな、と勝手に受け止めておりました」
「んん」
「私がそこに入ってしまうと、社長の腰巾着という感じで、せっかく動かそうとしているものがかえって変な動きになってしまうのでないか、と思って静観させていただいておりました」
「そうだったのか」
「ですが、いよいよ今日、部長会でお話になった。つまり次のステージに入る、という宣言ですよね」
「そ、それを感じてくれましたか」
「はい」
(西田さんは何から何までわかってくれているのかもしれない。この人を頼りにしていけばよいのか……)
かすかな光が佐伯に見えてきた。
「西田さん、そんな風に見ていてくださったのですか。ありがとうございます」
「今まで何も申し上げずに失礼しました。ですが社長の取り組みはさすがだなあ、と思って今まで遠巻きに拝見しておりました。これからどのようにお手伝いしていけばよいかご指示いただければと思います」
「西田さん、ありがとうございます」
「そうであれば、早速これまでの経緯をお話ししたいのですが、この後、いっぱいどうですか?」
「いいですね、お付き合いいたします」
ついに大きな石が“ゴロッ”となった瞬間が訪れた。
(つづく)
これまでの物語は
第1話




コメント