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介護施設 施設長・佐藤の人間理解物語ー管理を手放した先に宿る、真の安心ー第4話

  • tsunemichiaoki
  • 10 時間前
  • 読了時間: 7分
管理

第4話 管理を手放した先に宿る、真の安心

――「効率」と「心」が重なり、新たなハーモニーが生まれる日


■ 突きつけられた「現実」の重み

「ケア・オフ・タイム」を導入して二週間。事務室のモニターに映し出される数値は、目を覆いたくなるような惨状だった。


残業代は跳ね上がり、記録の未入力エラーが散見される。

何より、多くの職員たちの表情から余裕が消え、真壁を中心としたベテラン勢と、航平たち若手の間に、修復不可能なほどの深い溝ができていた。


真壁が事務室に乗り込んできた。

彼女の目は充血し、手にはトラブル事象の報告書が握りしめられている。


「昨夜も、記録が終わらずに2時間も居残ったスタッフがいます。田中さんのバイオリンの話? 松本さんの雲の話? 結構ですよ。でも、その代償にスタッフの生活が壊されるなら、それは本末転倒じゃないんですか!」


「施設長、これが望んだ結果なのですか?」


佐藤は、突きつけられた数字と真壁の怒りを、逃げずに受け止めた。


「その通りだ、真壁さん。これまで作ってきた管理された状態。私も美しいと思っていた。自分もそれに従ってくれた皆さんのことが誇らしいと思っていた」

「でも、違うんだ」

「その管理された状態は、ただの『自己満足』に過ぎなかったんだよ」

「もちろん真壁さんの言う通り、スタッフを犠牲にして成り立つケアなど、どこにもない」


「だったら、すぐに中止してください! また元の、あの効率的なシステムに戻すと、今ここで約束してください!」


佐藤はゆっくりと立ち上がり、モニターではなく、窓の外の景色に目を向けた。


「申し訳ないが今は戻せない。今のやり方を『変える』つもりだ」




■ 「管理」の再定義――問いを分かち合う

翌日、佐藤は全職員を集めた。


緊迫した空気の中、佐藤はホワイトボードの真ん中に一本の線を引き、左に「効率(システム)」、右に「心(ケア)」と書いた。


「これまでは、私が左側の『システム』を完璧に作り上げ、皆さんにそれを強いてきた。それは、この施設を倒産と崩壊から守るための、私なりの正義だった」


佐藤は一同を見渡した。


「皆さんのおかげで、ありがたいことにその動きは結果につながりました。本当に皆さんの奮闘には感謝しています。改めてここで御礼申し上げます」


立ち上がって全員に向かって佐藤が頭を下げた。


「私が目指していたその姿は皆さんのおかげで具体的に目の前に現れました。ですが、それは終着点ではありませんでした」

「まだ先があったのです」

「私が作ったシステムは、入居者を『管理』するためのものであって、皆さんが入居者の方々を『ケア』をするための支援ツールにはなっていませんでした」


「何をいまさら……」


真壁が独り言としてつぶやく


「せっかく出来上がったと思うものを更に変える、人によっては放棄すると感じるかもしれないことをするのはもちろんためらいはあります。また今まで頑張ってきてくださった方々には申し訳ない、という気持ちもあります」


佐藤は真壁の顔を見た。

真壁は慌ててその視線を外す。


「ですが私はもう1回、皆さんと一緒に新たな挑戦をしたいのです」


「……どういうことですか?」


真壁が不審そうに声を出す。


「これからは、『効率一辺倒』の世界から脱却して、もう一段上のレベルとは何か、そしてそれを探り目指していきたいのです」


「無理を承知でケア・オフ・タイムを設定しました。皆さんに負担がかかっているのは承知で、申し訳ないです」

「ですが、もしかするとその時間を持ったことで皆さんの中に入居者さんとの距離が縮まった、と感じている方はいないでしょうか。何か感じた方はいないでしょうか」


佐藤は皆の顔をぐるりと見渡す。


「もし何かを感じた方がいればその『気づき』を、どうすればもっと感じることができるようになるか。そして無理なく日々の業務の中に組み込めるか。それをこの先みなで考えていきたいのです」


佐藤が提案したのは、上からの命令による効率化ではなく、

現場の生きた反応を感じることからの「再出発」だった。


「真壁さんをはじめとしたリーダーの皆さん。皆さんに苦労してもらって守ってきた『正確さ』や『安全性』は、この施設の宝です」

「ですが、申し訳ないですが、私の人間の出来がまだ足りませんでした」


「…………」


「この施設は他の事業所に比べて圧倒的に利益も出ているし、モデル事業所的な位置づけにも最近はなっていました。でもそれは本当の意味での理想の施設ではなかったのです」

「私たちは人へのサービス提供をしています。そしてそれは人間という物体へのサービス提供ではなく、心を持った人へのサービス提供なのです。『人間を管理する器』ではなく、『心を通わす場』にしていきたいのです。ご協力いただけませんか」


佐藤は深く頭を下げた。


松本さんのように「雲を見たい」という瞬間のため。

田中さんのバイオリンの話を聞くため。


この時間を作り出すために、他の事務作業をどの時間帯に集中させればよいか。誰がどのタイミングでサポートに入ればよいか。

そういったことを一から見直す必要性を佐藤は理解したのだった。


役員への抜擢、施設長としてのプライド。そんなものはもう、どこにもなかった。あるのはただ、一人の人間として、仲間と共に「良い場所」を作りたいという切実な願いだけだった。




■ 不協和音が調和に変わる瞬間

沈黙が流れた。


最初に動いたのは、航平だった。


「…あの…僕、松本さんのあの日の言葉、記録に残したいんです。単なる『食事量10割』じゃなくて、あの日松本さんが何を感じたのか。それを共有できれば、次のスタッフも松本さんにどう接すればいいか迷わなくなる。それが結局、一番の効率になるんじゃないかって思うんです」


真壁は、航平の言葉を聞き、それから佐藤の上げた頭をじっと見つめた。


長い、長い沈黙の後、彼女は深くため息をついた。


「……施設長。あなたは本当に、勝手な人です。せっかく私たちが完璧に守ってきた城を、自分から壊すなんて」


彼女はそう言いながらも、手元のタブレットを開いた。


「……わかってますよ。松本さんのあの様子を見たら、放っておけないことくらい。航平くん、その『心の記録』、どこに入力すればいいか、フォーマットを考えなさい。システムを変更するのは、私がOKしたあとよ」


真壁が折れた。

いや、彼女もまた、システムの中に閉じ込めていた自分の「介護職としての誇り」を、ようやく取り戻そうとし始めたのかもしれない。




■ ひだまりの家の「新しい音」

それから数ヶ月後。


『ひだまりの家』の廊下には、再び「音」が戻っていた。

しかし、それは以前の無秩序な怒号ではない。インカムから流れる声には、確かな体温が宿っている。


『こちら2階。佐藤さん(入居者)が今、昔の歌を口ずさんでいます。10分だけ、隣で聴かせてもらいます。真壁さん、フォローお願いできますか?』

『了解。こっちは記録をまとめて終わらせたわ。10分後、交代しましょう』


効率化は、依然として追求されている。

しかし、それは「時間を削るため」ではなく、「誰かの大切な瞬間に寄り添う時間を生み出すため」の手段に変わりはじめていた。


残業は今でも発生している。

だが以前のような悲惨な状況には戻っていない。


なぜか。


それは仕事に「意味」を見出した職員たちが率先して仕事をするようになり、残業をするのが苦ではなくなりつつあったからだった。


さらに、離職率が下がり、求人のコストが改善されるという、おまけがついた。

職員同士のコミュニケーションも生まれるようになり、以前のように廊下を歩いても足音しか聞こえない、ということは本当少なくなった。


経営的な相乗効果まで生まれ始めていたのである。


「この施設で起きている『問い』の連鎖を、組織全体に広げるのが私の役目ですから」

そう言って、彼は現場と役員室を往復する日々を送り始めていた。




■ 結末――「問い」を生きる


夕暮れ時。佐藤は、松本さんの隣に座っていた。


「松本さん。今日の雲も、流れていきますね」


松本さんは、佐藤の手をそっと握り返した。


「……ああ。でも、あんたが隣にいてくれるから、怖くないよ」


松本さんの瞳には、かつての虚無感は消え、穏やかな夕日の光が宿っていた。

佐藤は気づいた。


経営とは、完璧なシステムを作り上げることではない。


組織の中に眠る「問い」を掘り起こし、不協和音を恐れずに、絶えずチューニングを繰り返していくプロセスそのものなのだ。


施設内に流れる空気は、もはや「無機質な静寂」ではない。

そこにあるのは、一人ひとりの人生が重なり合い、時にぶつかり、時に寄り添いながら響き合う、静かだが力強いハーモニーだった。


(どの組織にも、問いが眠っている。そしてその問いが、誰かの心を動かした時、世界は変わり始める)


佐藤は、自分の手のぬくもりを信じて、次の一歩を踏み出した。





――完――








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