<町の電器屋さん>成熟市場で戸惑う経営者・高橋社長物語ー第2話ー
- tsunemichiaoki
- 12 分前
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第2話 立ち止まっていることに、気づいてしまった日
――変えなければと思うほど、動けなくなる
あの日の夜から、特別なことが起きたわけではなかった。
翌朝も、高橋はいつもと同じ時間に家を出て、同じ道を通り、同じように店のシャッターを開けた。
「おはようございます」
佐藤の声も、昨日と変わらない。森も、少し遅れて顔を出す。
すべて、いつも通りだ。
だが――高橋の中では、ひとつだけ違うことがあった。
(俺、止まってしまっているんじゃないか)
はっきりそう思ったのは、初めてだった。
■ ペースが落ちているのは、体か、心か
午前中の作業は、近所の住宅での小さな修理だった。手は自然に動く。説明も、慣れたものだ。
それでも、以前と違う感覚があった。
(昔なら、もう一言、何か話してたな)
そんな自分に気づく。
必要な説明はしている。失礼もしていない。だが、それ以上をしようという気が起きなかったのだ。
「ありがとうございました」
そう言って家を出たとき、ふと、ため息が出た。
(疲れてるってことか……)
だが、体がきついわけではない。寝不足でもない。
では、何で、そして何に疲れているのか。
■ 社長という役割が、少し遠くなる
昼前、店に戻ると森が電話応対をしていた。
「はい、はい。ええ、大丈夫です」
高橋は、その様子を横目で見ながら、事務所の奥に入った。
以前なら、「誰から?」「何の話?」と聞いていたはずだ。
だが今日は、聞くことはなかった。
(任せていいよな)
そう思ったからだ。
それは信頼でもある。だが同時に、距離が少し生まれているという感覚でもあった。
社長として、前に出ていない。だが、引いている自覚もない。
経営者としてグリップしているのかしていないのか。
自分でもなんとも手ごたえのなさを感じざるを得なかった。
その中途半端さが、高橋自身を一番疲れさせていた。
だがまだ高橋自身はそのことに気づいていない。
■ 変えたいのに、変える理由が見つからない
午後、事務作業をしながら、高橋は何度も同じ考えに行き着いた。
(何か、変えなきゃいけない気がする)
だが、「何を?」と問われると、答えが出ない。
売上は落ちていない。クレームもない。社員も辞めそうにない。
銀行からも、「安定していますね」と言われる。
変える理由が、見当たらない。
それなのに、変えなければならない気がする。
(理由がないのに、変えるのは怖いな)
その感覚が、高橋の手も足もそして思考をも止めていた。
■ 65歳の背中が、少し遠く見えた日
夕方、佐藤が作業から戻ってきた。
「今日はどうでした?」
高橋がそう聞くと、佐藤は少し考えてから答えた。
「特に問題はありませんでした」
それを聞いて、高橋はなぜか安心してしまった。
(問題がないことに、安心してるな……)
自分の心の動きを、自分で少し嫌になった。
佐藤は作業着を脱ぎながら、何気なく言った。
「社長、最近ちょっと疲れてません?」
高橋は、一瞬言葉に詰まった。
「そう見えますか?」
「ええ。前はもう少し、現場の話、してましたから」
責める口調ではない。心配する声だった。
「年ですかね」
高橋は冗談めかして言ったが、佐藤は笑わなかった。
「年ですか。うーん、違うと思いますよ」
思わぬ返答に、高橋は詰まった。
返す言葉が出てこなかった。そして、
その一言が、胸に残った。
■ 古参社員の言葉が、胸に刺さった夜
店を閉める準備をしていると、佐藤が作業場の奥で手を止めた。
「社長」
呼び止められて、高橋は振り返った。
「今日は、もう上がって大丈夫ですよ」
「いえ……ちょっとだけ、いいですか。先ほどの話の続きなんですが・・・」
その言い方が、いつもと違うことに、高橋はすぐ気づいた。
佐藤は、しばらく言葉を探すように、工具箱の取っ手を握ったまま黙っていた。
「社長が、そして会社が……何か大きな問題を抱えているとは思っていません」
高橋は黙って聞いた。
「仕事は十分にあって、売り上げは安定してるし、俺たちも安心して働けてます」
それは、高橋自身が一番よくわかっている評価だった。
「でも……」
佐藤は、そこで一度息を吸った。
「正直に言いますね」
高橋は、うなずいた。
「昔は、この店で働いてるって言うと、ちょっと誇らしかったんです」
「新しい家電を、お客さんより先に触って、それを説明するのが楽しかった」
「社長のお父さんと一緒に、『次はこれが来るぞ』って話すのが、 本当にワクワクしてました」
高橋の胸が、静かに締めつけられた。
「今は……」
佐藤は、言葉を選びながら続けた。
「仕事としては、ちゃんとしてます。 でも、面白くなくなってしまったんです」
大きなインパクトを高橋に与える言葉だった。
静かな声でありながら、大きな力を持つ言葉だった。
「社長が悪いって言いたいんじゃありません。 俺も年ですし、時代のせいもあるでしょう」
「でも……」
佐藤は、高橋の目を見た。
「社長自身が、この仕事を楽しめてないように見えるんです」
高橋は、すぐに返す言葉が見つからなかった。
「会社は安泰と言ってもよいのではないかと思います」
佐藤は、静かに言った。
「でも……社長ご自身は、その状態で満足されていますか?」
その一言で、高橋の中に積み上がっていたものが、音もなく崩れた。
反論できなかった。否定もできなかった。
なぜなら――それは、正しすぎたからだ。
佐藤は、それ以上何も言わず、作業着を脱いで帰っていった。
店には、高橋一人が残った。
■ 帰宅後の静けさが、やけに重い
その夜遅く、高橋は自宅での夕食を済ませた後、テレビをつけた。ニュースが流れている。
AI、DX、デジタル化――そんな言葉が、当たり前のように飛び交っていた。
「AIが生活を変える」
アナウンサーの声を聞きながら、高橋はリモコンを持ったまま動かなかった。
(変える、か……)
自分の店は、生活を変えているだろうか。
壊れたものを直す。古くなったものを替える。
それは確かに必要な仕事だ。だが、「変わる」「変える」だろうか。
(父の時代は、確かに変えてた)
その違いが、はっきりと浮かび上がった。
一方で、それはまだ物がなかった時代だったからできたことではないか、
という思いももたげてきた。
■ 「わからない」が、怖くなってきた
高橋は、スマートフォンを手に取った。
「AI 活用 生活」
そんな言葉を、検索窓に打ち込んでみる。
出てくるのは、難しそうな記事、専門用語、よくわからないサービス。
画面を見ながら、高橋はそっとスマートフォンを伏せた。
(俺には、やっぱり関係ないな)
そう思おうとした。
だが同時に、胸の奥が少しざわついた。
(関係ないって、決めつけていいのか?)
わからないから、遠ざけている。そのこと自体が、今の自分自身を象徴している気がした。
■ 何もしないことが、選択になっている
翌日も、その次の日も、店はいつも通り回った。
だが高橋は、ようやく気づくこととなった。
「何もしない」という選択を、自分が無意識に続けていることに。
失敗を避けている。同時に、可能性からも目を逸らしている。
(このまま、数年経ったらどうなる?)
答えは出ない。
だが、その問いを持ったまま生きるのは、思った以上にしんどかった。
■ 小さな違和感が、消えなくなる
2週間後のある日、店を閉める前、高橋はふと、ショーウィンドウを見た。
並んでいる家電は、どれも性能が良く、価格も適正だ。
だが、そこに「未来」を感じられない自分がいた。
(俺が感じないものを、お客さんに届けられるわけがないよな)
その事実を、ようやく正面から受け止めた。
まだ、答えはない。だが、「このままではダメだ」という感覚は、確実に濃くなっていた。
それは、以前で芽生えた「未病」という感覚が、
いよいよ自覚に変わった瞬間だった。
高橋は、シャッターを下ろしながら、心の中でこう思った。
(小さくてもいい。何か、動かなきゃいけない)
その「何か」は、まだ形を持っていない。
だが、立ち止まり続けることだけは、もう選べなくなっていた。
――第3話へ続く
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