ITエンジニア企業・佐伯社長物語—第3話ー(手ごたえと否定、軋み)
- tsunemichiaoki
- 1月7日
- 読了時間: 8分
ハーモニー経営の一端を垣間見ていただくために、あるITエンジニア企業の社長の苦難、そしてそこから這い上がる物語をお伝えします。

第3話 善意が生む軋み
――否定されたのは、改革ではなく「自分」だった
■ 現場での小さな手応え
翌朝。西田部長との一席を経て、胸の奥に確かな支えを得た佐伯は、
「次に何をすべきか」をようやく自分の言葉で語れるようになっていた。
――まずは、顔を見よう。――忘れていた“自社の社員”を、ちゃんと見に行こう。
そう決めての客先訪問だった。
佐伯は、まだ人の少ないオフィスを出た。
エレベーターの鏡に映る自分の顔を見て、思った以上に表情が硬いことに気づく。
(俺は、何をしに行くんだ)
答えは分かっているはずだった。
「現場の声を聞く」。
「社員と直接向き合う」。
それはここ数週間、佐伯自身が“変わり始めた自分”を象徴する行動だった。
西田に言われた言葉が、まだ胸の奥に残っている。
――社長は、もう「聞かない人」ではありません。
(そうだ)(俺は、ちゃんと変わり始めている)
だからこそ、今日の訪問には意味がある。そう信じたかった。
だが同時に、どこかで別の声が囁いていた。
(……それを、誰が証明してくれる?)
■ 静かなフロアと、視線の重さ
受付で名刺を出すと、担当者は一瞬だけ言葉に詰まった。
「社長ご本人ですか?」
「ええ。今日はご挨拶だけで」
その「だけ」という言葉が、思ったよりも軽く響いた。
通されたフロアには、整然とした緊張が張りつめていた。
キーボードの音。モニターを見つめる背中。
その中に、自社のロゴ入り社員証が点々とある。
(……ここが、彼らの今の現場か)
数字では何度も見てきた。稼働率も、工数も、報告書も。
だが、「人が働いている空間」として
この場所、このような場所を見たのは、いつ以来だろう。
胸の奥が、わずかにざらついた。
その客先には多くのエンジニアに交じって自社のエンジニアも何名も常駐している。
いままで客先訪問は相手にも歓迎されないかな、と考えてめったに訪れることはなかったが、今の佐伯は一皮むけていた。
どのエンジニアも真剣な表情でPCに向かっている。
そして、佐伯は少々自分を恥じた。
自社の社員がそこにいるのに、全員の顔と名前が一致しない。
そして、彼らと最後に話したのがいつだったかも思い出せなかった。
そのとき、一人の男が顔を上げた。
「あ……社長?」
岡田だった。
そして驚きの表情がそこにはすぐに表れた。
何人もいるメンバーの中での先輩格社員である。
さすがに岡田は佐伯の顔はすぐに分かった。
岡田は創業から数年後に入社し、今では現場で最も信頼されている中堅エンジニア。佐伯よりも十歳以上年下だが、現場では「兄貴分」として通っている存在だ。
岡田は席を立って、佐伯のもとに歩み寄ってきた。
■ 再会の温度差
「久しぶりだな、岡田」
「社長……どうされたんですか、こんなところまで」
岡田は立ち上がり、周囲を気にしながら会議スペースへ案内した。
その動作が、やけに手慣れて見えた。
(現場に馴染んでいる)(俺よりも、ずっと)
「急にすまなかった」
「いえ……正直、驚きましたけど」
岡田は笑った。だが、その笑顔は“再会の喜び”だけではなかった。
そこには、測るような視線が混じっていた。
(何をしに来たんですか)(どこまで分かっているんですか)
そう問われている気がした。
■ 「現場は回っています」
「現場はどうだ?」
佐伯は、あえてこの言葉を選んだ。何度も使ってきた問いだからこそ、“今の自分”なら違う答えが返ってくると期待して。
岡田は、少しだけ考えた。
「仕事自体は……回っています」
「問題ない、という意味か」
「……ええ。表向きは」
その一言に、佐伯の胸がわずかに鳴った。
(表向き、か)
「社長、正直に言っていいですか」
「もちろんだ」
そう答えながら、佐伯は自分が身構えていることに気づいた。
■ 遠さを突きつけられる
「最近、社長がいろいろ動いているのは、現場も感じています」
アンケート。雑談会。メッセージ。
どれも、佐伯が「変わった証」だと思っていたものだ。
「悪い意味じゃありません。むしろ……ありがたい」
一瞬、安堵がよぎる。
だが、岡田は続けた。
「ただ、少し“遠い”んです」
「……遠い?」
「はい」
岡田は、フロアを見渡した。
「気にかけてくださるのは分かります」
「でも、今ここで起きていることまでは、届いていないんです」
佐伯の中で、何かが静かに崩れた。
(届いていない?)(俺は、ちゃんと近づいているはずだ)
そう反論したくなった。だが、言葉は出なかった。
■ 否定されたのは「改革」ではない
「もう一つ、いいですか」
岡田の声は、穏やかだった。
だからこそ、逃げ場がなかった。
「今ここにいる社員、社長は顔と名前、どれくらい一致しますか」
佐伯は、反射的に答えた。
「井上、木村、向井、佐藤……」
「ありがとうございます。来る前に再確認してきてくださったのですよね。でもどこに座っているか、どんな顔、体格の社員かすぐおわかりになりますか」」
言葉が、止まった。
(……分からない)
その沈黙が、答えそのものだった。
佐伯は、この瞬間に悟った。
否定されたのは、行動ではない。改革でもない。
――否定されたのは、「分かっているつもりでいた自分」そのものだった。
■ 善意の裏側
その夜。佐伯はオフィスで一人、デスクに向かっていた。
(俺は、間違っていない)(ちゃんと動いている)
そう言い聞かせようとする思考が、何度も立ち上がっては、沈んでいく。
(だが……)
(岡田の言葉は、正しかった)
現場を見ている“つもり”。
社員を知っている“つもり”。
その「つもり」の上に、経営者としての自信を積み上げてきた。
(俺は、自分を見誤っていたのか)
その問いは、これまでで一番、重かった。
西田部長の顔が浮かぶ。
――社長は、もう独りで進む段階ではありません。
(ああ……そういうことか)
変わろうとするほど、自分の限界が露わになる。
善意は、一人で抱えるには、重すぎる。
佐伯は、ようやく理解した。
自分が必要としていたのは、“現場の声”だけではなかった。
――自分を否定してくれる存在だ。
翌日、佐伯は西田部長に客先での出来事を話した。
「なるほど……」西田は腕を組み、静かにうなずいた。
「岡田らしいですね。現場を代表して、言いにくいことを言う」「俺は、やっと一歩踏み出したつもりだったんだが……」「ええ。その一歩は、間違っていません」
西田は、少しだけ間を置いた。
「ただし、社長。その一歩が、別の軋みを生んでいる可能性があります」
「軋み?」「はい」
西田は、穏やかな声で続けた。
「現場に直接行く。声を聞く。それ自体は良いことと思っています」「でも、それを“誰を通して”おやりになっていますか」
佐伯は、はっとした。
「……部長たちを、飛び越えている、ということか」「そうです」
西田は否定も肯定もせず、事実だけを置くように語った。
「部長たちは、社長が現場に直接入り始めたことを、どう受け取るでしょう」「信頼されていない、と感じるかもしれない」「ええ。あるいは、自分たちの役割を奪われる不安を感じるかもしれません」
佐伯の胸に、重たいものが沈んだ。
(善意のつもりが……)
■ 社内に走るざわめき
数日後、その懸念は現実になった。
「社長、先日お客さんの現場にいきなり行かれたようですね」部長会で、ある部長が切り出した。
「社員から、社長に直接相談があったのですか」
「ほかの現場にも行かれるのでしょうか」「正直、指揮系統が乱れかねないのでは……」
他の部長たちも、黙ってうなずく。
佐伯は、言葉を選びながら答えた。
「現場の声を、直接聞きたかっただけだ」「部長の皆さん方を軽視するつもりはもちろんない」
しかし、その説明は、彼らの表情を和らげることはなかった。
佐伯は感じていた。自分が動けば動くほど、別の場所で摩擦が生じている。
会議後、なかなか席を立とうしない佐伯のもとに、西田が近づいた。
「社長、焦らないでください」「だが、このままでは……」「“正しさ”だけでは、組織は動きません」
西田の言葉は静かだが、重みがあった。
■ 現場の揺らぎ
一方、現場でも変化が起きていた。
「社長に直接言えばいいんじゃない?」
そんな声が、若手の間でささやかれ始めていた。
それは必ずしも悪意ではない。むしろ、期待の裏返しだった。
だが岡田は、その空気に危うさを感じていた。
(これじゃ、部長たちの立場がなくなる)
現場と経営。
その間に立つ者として、岡田は板挟みになっていた。
「社長が悪いわけじゃない」「でも、このままじゃ、現場も社内も割れる」
岡田は悩み、ある決断をした。
■ 岡田からの直言
数日後。岡田は、佐伯に直接連絡を取った。
「社長、お時間いただけませんか」「もちろんだ」
二人は小さな会議室に向かい合って座った。
「社長、あの日の訪問、嬉しかったです」「本当か」
そう前置きしたうえで、岡田は言った。
「でも、現場はやはり混乱しています」
「社長に直接言えばいい、という空気が出てきています」
「そしてそれは、部長との関係を、逆に難しくしています」
佐伯は、黙って聞いていた。
「俺たちは、社長を信頼しています」「でも今は昔の状況とは違います」
「組織があるのですから、間に立つ方々を、ちゃんと活かしてください」
その言葉は、佐伯の胸に深く刺さった。
■ 立ち止まる勇気
その夜、佐伯は一人、オフィスに残っていた。
動けば動くほど、事態は複雑になる。良かれと思った行動が、別の歪みを生む。
(俺は、何を見落としていたんだ……)
思い浮かんだのは、西田の顔だった。
――参謀が必要だ。――独りで進むフェーズではない。
佐伯は、初めてその事実を、はっきりと受け入れた。
■ 結び
翌朝。佐伯は、西田を会議室にいざなった。
「西田さん」「はい」「俺は……一度、立ち止まる必要があるようですね」「そして、次は“一緒に”進んでくれませんか」
西田は、ゆっくりとうなずいた。
「社長、お気づきになられましたか」
「ようやく、ここまで来ましたね」
善意は、時に人を孤立させる。だが、対話は、必ず次の道をひらく。
佐伯はまだ、答えを持っていない。だが、独りではないことだけは、確かだった。
――物語は、次の局面へ進む。
(第4話へ続く)
(つづく)
これまでの物語は
第2話
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