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山川部長の難関突破物語(ハーモニー経営)

  • tsunemichiaoki
  • 8 時間前
  • 読了時間: 5分

ハーモニー経営の一端を垣間見ていただくためにある大企業の部長の苦難、そしてそこから這い上がる物語をお伝えします。


ハーモニー経営


水道事業本部・供給管理部。

全国でも有数の規模を誇る公共インフラ企業の、その中枢の一つだ。


山川誠(やまかわ まこと)は、その部の中でも長年現場と経営企画の両方を歩んできた部長である。


だが、最近は机に向かう時間が妙に長くなった。


午後9時過ぎ。静まり返ったフロアの、白い蛍光灯の下で、山川はパソコンの画面をぼんやりと眺めていた。画面には、規制当局からの最新の通知。


「是正措置の詳細報告書を、2週間以内に提出すること」そう記されていた。

その文面に、特別な驚きはなかった。


むしろ、「またか」という感覚のほうが強かった。


——ここ数年、会社は規制当局への対応でずっと手一杯になっている。トラブルというほどのものは起きていない。だが、公共インフラという性質上、些細なミスも許されない。そのため、細かな報告と資料づくりが日常業務の大半を占めるようになっていた。


本来、水道事業の大義は「社会の基盤を支えること」だ。水が止まれば、産業も生活も成り立たない。だが、会社の会議では、その“大義”について語られることはほとんどない。



「我々は“自在に成長する企業”ではないからね」数ヶ月前、経営戦略部の役員が言った言葉が頭をよぎった。


——成長よりも安定。

——挑戦よりも報告。

——理念よりも手続き。


気づけば、そんな空気が社内のどこにでも漂っていた。



ふと、山川は椅子にもたれ、天井を仰いだ。


「いつからだろう……。何のために、ここで働いているのか分からなくなったのは」



若いころは違った。夜遅くまで現場で作業員と一緒に配管点検をしたり、大規模工場の断水事故を寸前で回避したり。「俺たちが支えているんだ」という実感が、いつも腹の底にあった。


だが今は、机の上に積み上がる書類に埋もれ、その実感がどこか遠い世界の記憶のようになってしまっていた。




翌朝。山川は本部ビルのエントランスで、配属3年目の若手・佐野とばったり会った。


「おはようございます、山川さん!」「おはよう。今日も早いな」「ちょっと気になる漏水データがあって。先に確認しておこうと思って」


佐野は、まっすぐな目でそう言った。

その言葉に、山川は一瞬だけ胸がざわついた。


——そうだ。こういう目を、自分もしていた。

——社会を支える仕事に誇りを持っていた。

——あの頃は、もっと胸を張って働いていた。


だが、山川はすぐに自分の心を押し隠すように、無難な言葉で返した。

「頼りにしてるよ。でも無理はするな」

「はい!」

佐野は、軽く頭を下げて走り去った。


その背中を見送りながら、山川の胸には“苦い温度”が残った。


——お前は今でも胸を張れているか。

——現場の若者に、自信をもって背中を見せられているか。


胸の奥が重たくなる。



その日の午後、本部の会議室では定例の役員会議が開かれた。山川はオブザーバーとして出席するよう求められていた。


会議は、予想通りの内容だった。

・今期の設備更新計画

・規制当局からの指摘への対応

・地域自治体との調整進捗

・コストダウンの要請どのテーマも重要ではあったが、未来を語るものは一つもなかった。


——我々の仕事の“大義”はどこにあるのだろう。


山川は、胸の奥でその問いをずっと握りしめながら、黙ってメモを取っていた。


しかし会議の終盤、経営陣の一人が言った言葉だけは、胸に刺さった。

「結局のところ、我々は“止めないこと”だけを考えていればいいんだよ。余計なことをしなければ、大事故は起きない」


その瞬間、山川は息が詰まるような感覚に襲われた。


——違う。

——それだけじゃない。

——本当は、もっと大きな使命があるはずだ。


だが、口を開くことはできなかった。会議室の空気はあまりに重く、「理念」のような言葉は、ここでは場違いな響きになるだけだと分かっていた。



会議が終わり、部のフロアに戻った山川は、席に着く前に少し立ち止まった。

視線の先には、窓際の席で資料をまとめている佐野の姿がある。

佐野は画面を見つめながら、何度も首をかしげて作業している。まだ慣れない業務に対し、誠実に向き合っているのだろう。


——この若者たちの未来は、今の会社のままでいいのか?

——“止めないことさえできれば十分”という価値観だけで、彼らは働き続けられるのか?

——彼らの誇りは、どこにあるのか?


胸の奥に、かすかな熱を感じた。それは怒りとも悲しみともつかない、複雑な感覚だった。

山川は視線をそらし、自席へと戻った。だが机に向かっても、その熱だけは消えずに残った。



その夜。資料作りを終えて会社を出た山川は、ビルの前で立ち止まった。秋の空気は冷たく、街灯の光がアスファルトに滲んでいる。


——何かが違う。

——今の働き方は、どこか大事なものを置き忘れている。

——公共インフラの使命とはいったい何なのか。

——産業も生活も、すべてを支えている一つのはずなのに。


そこで、ふと胸の奥に声が上がった。かつて山川が、若いころに心から信じていた言葉だった。



——私たちは、社会の血流を守る仕事をしている。止めないこと以上に、誇りを生むものがある。



その瞬間、山川の表情がわずかに変わった。心の奥底で、消えかけていた“熱の粒”が、静かに明るくなった気がした。


「……忘れていたな」誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやいた。

その言葉は、夜の空気に溶けていった。だが、それは確かに山川の胸に残った。


それは、とても小さく、頼りなく、それでも確かな“再生の兆し”だった。




(つづく)



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第2話 山川部長の難関突破物語<2>「見えない壁と、かすかな灯」



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