山川部長の難関突破物語<2>「見えない壁と、かすかな灯」
- tsunemichiaoki
- 8 時間前
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ハーモニー経営の一端を垣間見ていただくために、ある大企業の部長の苦難、そしてそこから這い上がる物語をお伝えします。

水道事業本部・第2会議室。午後の空気は重く、テーブルの上には大量の資料が積まれていた。
「では次に、供給管理部からの報告をお願いします」
司会役の部長代理が視線を向ける。
山川誠はゆっくり立ち上がり、プロジェクターに資料を映した。
今日の報告は、ただの業務報告ではない。
——会社の“大義”をもう一度取り戻すための、小さな仕掛け。そう位置づけて臨んでいた。
資料の1ページ目には、こう書かれていた。
『水道インフラの使命とは何か——安定供給を超えて、社会の未来を見据えた視点へ』
会議室の空気が、すこしだけピンと張る。
山川は、静かに話し始めた。
「我々は“止めないこと”を使命としてきました。しかし、それだけでよいのでしょうか。工業地区の生産体制、病院の医療行為、地域市民の暮らし。私たちは、そのすべての基盤を支えています。この視点が、今の業務の中で語られることが、あまりにも少ない」
役員たちは無表情だった。だが、その無表情の中に、山川は“わずかな緊張”を感じ取っていた。
数秒の沈黙を挟み、山川は続けた。
「現場は疲弊し、若手は誇りを持つ機会を失っています。『報告』と『是正』に追われ、会社の大義が薄れていると感じるのは私の感覚が狂い始めているということでしょうか。このままでは、会社は“守り続けること”すら危うくなるかもしれません」
本来なら、もっと強く、もっと情熱的に語れた。しかし山川は抑えた。抑えないと、相手は耳を閉じると分かっていたから。
「小さくてもいい。“大義”を取り戻すための話し合いを、部門横断で始めたいのです」
画面に映したのは、・現場の声を吸い上げる仕組み・若手の質問会・上層部と現場の対話など、ごく控えめな施策だった。
だが、それでも四、五人の役員は、明らかに表情を曇らせた。
沈黙が落ちる。
まるで深い沼のような沈黙だった。
最初に口を開いたのは、供給管理本部の本部長である副社長だった。
「気持ちはわかる。しかし今は規制対応が最優先だ。“理念”の話は、もう少し落ち着いてからでいいのでは?」
隣に座る経営企画部の役員が続けた。
「現場の声を引き出すのは良いが、組織を揺らすような動きは慎重に。不安を煽ることになっては世間の厳しい目が来るぞ」
山川は、うなずいた。うなずきながら、胸の奥がじわりと冷えていくのを感じていた。
(……結局、今日も届かないか)
もう一度、一呼吸を置いて言葉を整えた。
「不安を煽るつもりはありません。ただ、このままでは“誇り”が消えていきます」
沈黙。
だが、誰も賛成の言葉を口にしなかった。
会議は、そのまま流れのように次の議題へ移っていった。
山川が席に戻ったとき、胸には大きな穴が開いたような感覚があった。
——やはり、壁は厚い。
——今日の提案は、心の奥底で握りつぶされた。
会議後。廊下を歩いていると、年配の役員・矢野専務が声をかけてきた。
「山川くん、今日はずいぶん踏み込んだ話をしたね」
矢野の声は、叱責でも賞賛でもない。ただ、静かな観察者の声だった。
「……つい、言わずにはいられなくて」
「悪いことではないよ。ただ、会社は大きい。“想い”だけでは動かんものだ」
山川は黙った。痛いほど分かっている言葉だったからだ。
矢野は少し間を置き、静かに続けた。
「君のような人間が、現場のために声を上げるのは貴重だ。ただ……もう少し、味方を増やすことだな」
味方。そう言われると、胸がまた重くなる。
——自分は孤立している。
——現場のことを本気で語る同僚が、どれほどいるだろう。
矢野が去り、廊下に一人残された山川は、一瞬だけ、心が折れそうになるのを感じた。
翌日。
山川は、ひどく疲れた顔で出社した。
だが気持ちを引きずらず、まず現場に向かった。
ポンプ室。配管の振動を抑えるための点検が行われていた。
部下の佐野が、安全ベストを着て点検記録をつけている。その横で、若手作業員が汗をぬぐいながらバルブの調整をしていた。
彼らの横顔は、真剣で、まっすぐで、昨日の会議室とは対照的だった。
「山川さん、昨日の資料、拝見しました!」
佐野が駆け寄ってきた。
「え?どうして知ってる?」
「会議メモを共有してもらって……。その、“大義を取り戻す”っていう言葉、すごく胸に刺さりました」
山川は、息を飲んだ。
「そうか……」
「はい。僕ら現場は、もっと上と話したいです。報告やミス防止じゃなくて、“何のためにやるのか”って」
そのとき、すぐ近くの若手作業員が小さくつぶやいた。
「俺も……。変な話だけど、誇りとか、そういうの、もう一度ほしいっす」
山川の胸の奥で、何かが音を立てた。
昨日、会議室で押しつぶされそうになったあの想いが、今、現場の若者から真っ直ぐ返ってきた。
(……諦めるわけにはいかない)
山川は強くそう思った。
「よし。じゃあ、まず俺たちで始めるか」
ふたりは驚いたように、そして少し嬉しそうに笑った。
その週の終わり。
山川は、自分の部内で小さな“対話会”を開いた。
役員会議で否決された「部門横断」ではなく、あくまで自分の部の中だけでの、小さな取り組みだ。
5名ほどの若手と中堅が集まり、“今の業務で苦しいこと”を自由に話す場だった。
最初は誰も口を開かなかった。
だが、ひとりが話すと、次々と続いた。
・現場からの要望が経営に届かない
・手続きばかり増えて、仕事の目的が見えない
・誇りを語ると、浮いてしまう空気がある
・若手が未来を描けない
山川は黙って聞いた。
決して否定も指示もしなかった。
ただ、真剣に耳を傾けた。
会が終わる頃、佐野がぽつりと言った。
「……こういう場があるだけで、救われますね」
その言葉に、山川の胸に静かな熱が広がった。
2週間後、山川は再びその対話会を開いていた。
そして参加メンバーから月に1回の定期開催、そして他の部署のメンバーでも希望者は参加できる、という形にできないか、という提案を受けた。
山川は一瞬ためらった。
自分の配下のメンバーだけであればいかようにでも対処できるが、他の部署からの参加者が出るとなると、会社としての公式行事でもない中での越権行為という評価をされるリスク。
そしてよその部の部長から勝手なことしないで欲しいという横やり。
様々なことが、起きるかもしれない未来というより現実に起こる未来という感じで山川の脳裏に浮かんできた。
「ちょっと考えさせてくれ」
山川は即答できなかった。
提案した若手に落胆の表情が浮かぶ。だが、今そのリスクをすぐとれるとはやはり思えなかった。
しかし3回目の対話会。若手も考えてくれていた。
山川が断れない提案を持ってきたのである。
「今日の対話会の内容を録音させてください。その録音データをCDに焼き付けます。その現物を希望者には貸与する、ただし、業務時間中には聞かないことというルールを守ってもらうようにします。居酒屋で会社の愚痴を言って周りの人に聞かれてしまうリスクよりよほど前向きなことではないかと思うのですが、いかがでしょうか」
さすがに山川も、わかった、としか言いようがなかった。
次の対話会が始まるとき、山川は自分の耳を疑うことになった。
「前回の録音は本当にCDに焼いて誰かに渡したのかい?」
「はい、実は希望者が思ったより出てきて、CDはあと3枚焼いて貸し出しています」
「えっ、あと3枚?」
「はい、全部で4枚になりました。そうですねそろそろ10名くらいには聞いてもらったのではないでしょうか」
あれから2週間に1度の対話会をしてきている。
つまり2週間の間にそれだけの人数がこの対話会の内容を聞いたことになる。
参加しているわけではない、しょせん録音データと思ってしまえばそれまでだが、画像もついていない録音だけのものなのに、10名もの希望者がいる。
山川にとっては胸が熱くなる出来事だった。
そして知らないうちに、その噂は役員の耳にも届いていた。
月曜の朝、山川は突然、矢野専務から呼び出された。
「聞いたよ。君、独自に対話会を開いているそうだな」
(CDの件がコンプラ違反になるのか……?)
胸がざわつく。だが矢野は責めるような表情ではなかった。
「……で、どんな感じなんだ?」
「はい。驚くほど、みんな会社の未来を考えていました。“誇りを持ちたい”という声が、あちこちから出ました」
矢野は、しばらく黙って山川を見つめた。その目には、かすかだが“揺らぎ”があった。
「……そうか。止めないために働く、という価値観に、限界が来ているのかもしれんな」
その言葉を聞いた瞬間、山川の胸に“かすかな灯”がともった。
矢野は続けた。
「正式な会議では言えなかったが……君の言葉は、私には刺さったよ。私は気づかぬうちに“守ることだけが使命”と思い込み、現場の想いから目をそらしていたのかもしれん」
山川は息を飲んだ。
そのとき、山川のささやかな取り組みが、誰か一人の心に、確かに波紋を生んでいたことを悟った。
矢野は静かに言った。
「……続けてくれ。そして2か月後に状況を改めて聞かせてほしい」
山川は深く頭を下げた。胸の奥で、何かが確かに動いた。
それは、まだ小さく、頼りないが、確実に見えない何かが“共鳴”へ向かう前触れだった。
(つづく)
第3話 山川部長の難関突破物語<3>「波紋の広がりと、揺れ始める巨大組織」
これまでの物語は
第1話 山川部長の難関突破物語(ハーモニー経営)






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