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🌿老舗温泉旅館女将物語―社員とお客様から学ぶ経営者―第2話

  • tsunemichiaoki
  • 2 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:19 時間前

女将

第2話 守ってきたものは、誰のためのものだったのか

――「正しさ」が、問いに変わるまで



■ 朝の帳場に戻ってきた「問い」

翌朝。

和子は、前日と同じ時間に帳場に立っていた。

庭の砂利も、生花も、廊下の香りも、何一つ変わっていない。


それなのに――昨日までと、景色の見え方が違っていた。


(私は、何を確認しているんだろう)


いつもなら、「今日も抜かりはない」と思えたはずの確認作業が、今日はどこか空虚に感じられる。


正しく整っている。だが、そこから感じられるはずの何かがわからなくなっていた。

うちのしきたり、つまり伝統は守っている。

落ち着いたたたずまい、静寂がそこにはある。


一方で、すでに動き始めているお客様もいることで、

そこには生命の躍動とまでは言わないが、しっかりとした動きはある。


和子は、自分の中に残っている昨日の “問いの余韻” を、はっきりと自覚していた。

そしてその余韻は、不安というより“気づきの前触れ”のようにも感じられた。




■ 変わっていない数字が、安心をくれない

帳場の端に置かれた日報を手に取る。


稼働率。客単価。キャンセル率。


どれも、大きな変化はない。むしろ安定していると言っていい。


(問題は、何も起きていないことなのかもしれない)


その考えが浮かび、和子は一瞬、眉をひそめた。

問題がないことは、これまで「良いこと」だった。


だが今は、問題が見えない、

ということが問題として浮上してきたことをはっきりと自覚していた

そのことそのものが、不安の種になりつつある、ということを

ようやく明瞭につかんだ。


“安定”が“停滞”に見える瞬間がある。和子は、その境目に立った。




■ 「昔ながら」という言葉の重さ

その日のチェックアウトのお客様の波が去った後、帳場に一人になった和子は、再びスマートフォンを手に取った。


昨夜読んだ口コミを、もう一度だけ、確認する。


「昔ながら、という感じ」


その一文を、ゆっくりと心の中で反芻する。


昔ながら。それは、守ってきた証であり、誇りでもあった。


だが今は、「変わっていない」という評価にも聞こえる。


(守ってきたものは…… 誰のためのものだったのだろう)


お客様のため。地域のため。家族のため。従業員のため。


答えはいくつも思い浮かぶ。だが、どれも決定打にならない。

そしてそれでよかったのか、という疑問に対する答えが

一向に見えてこない、感じ取れない自分へのもどかしさが

どんどん募っていることを理解した。


“誇り”と“惰性”は、時に紙一重。和子は、その境界を初めて意識していた。




■ 父の言葉が、別の意味を持ち始める

ふと、亡くなった父の声がよみがえる。


「女将はな、 目立たなくていいんだ」


「宿の主役は、お客さんの時間だからな」


若い頃はその言葉を “慎ましさの教え” として受け取っていた。

だが今、別の意味が立ち上がってくる。


(お客さんの時間を、本当に理解できていただろうか)


目立たないことと、

関心を持たないことは、


違う。


その違いを、自分は曖昧にしたまま、

いや、考えることもしないまま、長い時間を過ごしてきたのではないか。

一気に後悔の念が脳裏にのしかかってきた。


お客様を自分はものとして見てしまっていたということか。

お客様に提供するものとは何か、ということをもしかすると

分かったつもりで探求することを放棄してしまっていたということか。


ボヤッとしていた五里霧中の状態の中から、

今まで想像すらしていなかった巨大な怪物がそこに入るのかもしれない

という恐怖を感じ始めていた。


その“怪物”は、誰かではなく、自分の中に潜んでいた思考の盲点であることに

まだ和子は気づいていない。




■ 若手の視線が向いている先

午後。ロビーで真奈が、チェックイン前のお客様と話している。

和子は少し離れた位置から、その様子を眺めていた。


真奈は、形式通りの説明をしながらも、お客様の表情をよく見ている。

言葉を選び、間を取り、相手の反応に合わせて、ほんの少しだけ話を足している。


(今の私は、ああやって立ち振る舞っているだろうか)


気づけば、自分の今の立ち姿、そして過去の立ち姿と比べていた。


“型”を守ることに集中しすぎると、“相手”が見えなくなる。和子は、その事実に軽く触れた。




■ 「教えたこと」と「染みついたこと」

和子は、自分が真奈に教えてきたことを思い返す。


言葉遣い。所作。距離感。


どれも間違ってはいない。だが、それらは「型」であって、「目指すべきもの」ではなかった。


(この子は、型から離れようとしている)


そう思った瞬間、胸の奥に小さなざわめきが生まれた。

真奈にも頻繁に教えようとしていた「守破離」を

自分に向かって突き付けられた気がしたのだ。


真奈はしっかりと「守」のステージから「破」のステージに進み、もしかすると「離」のステージに足を踏み入れているかもしれない。


一方で自分は・・・。


“守”にとどまること自体がいつも悪いわけではない。ただ、和子は“とどまっている理由”を見失い始めていた。




■ 女将という立場の、見えない責任

女将は、現場に立ち続ける存在でありながら、同時に「文化の番人」でもある。


変えることは、裏切ることに近い

と今までは思ってきた。


だが、変えないことは、停滞を選ぶことともいえる。

世の中はどんどん変化、進化しているからだ。


(私は、どちらを選んでいるのだろう)


その問いは、まだ言葉にならない。

だが、確かに“生まれつつある問い”だった。




■ 夜、帳場を閉めながら

一日の終わり。帳場の灯りを落とす。

何も変わらない一日だった。

だが、何も変わらなかったことを、「良い」と言い切れなくなっている。


和子は、帳場の木目にそっと手を置いた。


(守ってきたものを、疑い始めている)


それは、女将として、最も怖い兆しでもあった。


だが同時に、目を逸らしてはいけない兆しだということも、薄々感じていた。


“変わらない日常”の中に、変化の種が落ちている。和子は、その存在だけは確かに感じていた。




■ 第2話の終わりに

真奈は、まだ何も変えようとしていない。

和子も、まだ動いていない。


だが、二人が見ている景色は、すでに少しずつずれ始めている。


そのずれが、対話になるのか、衝突になるのか、あるいは無視されるのか。


その“ずれ”こそが、物語を動かす大きな揺らぎだった。


それは、次の一歩が踏み出されたときにしか分からない。




――第3話へ続く





第1話はこちらから

🌿老舗温泉旅館女将物語―社員とお客様から学ぶ経営者―第1話


























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