老舗和菓子店 店主佐久間の物語―何を守り、何を変える?―第1話
- tsunemichiaoki
- 3月1日
- 読了時間: 5分

第1話 “変わらない味”が、変わらない理由
――三代目店主・佐久間の胸に沈む、言葉にならないざらつき
■ 朝の仕込み場に漂う、変わらない匂い
まだ外が薄暗い午前5時。佐久間和人(さくま・かずと)は、暖簾を上げる前の仕込み場に立っていた。
蒸気の立ち上る蒸籠。炊き上がった餡の甘い香り。木べらが鍋肌をこする音。祖父の代から変わらない、朝の風景だ。
「おはようございます、店主」
奥から声がした。
声の主は、職人歴40年の古参・村井だ。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
そう返しながら、和人は無意識に姿勢を正していた。
村井の前では、いつも少しだけ背筋が伸びる。
(この空気は、祖父の頃から変わらないな)
そう思うと同時に、今日もこれでOKだ、
という思いが佐久間の心の中に広がった。
だが、その思いがあらぬ方向に進むとはこの時点で佐久間は全く気づいていない。
■ “伝統の味”を守るということ
佐久間家の和菓子店は創業80年。看板商品は「栗きんとん」と「上生菓子」。
祖父が作り上げた味を、父が守り、そして今、三代目の和人が継いでいる。
「味を変えるな」「余計なことをするな」「伝統は、手を加えないことが価値だ」
父から叩き込まれた言葉だ。
和人も、その教えを疑ったことはなかった。
むしろ誇りだった。
だが――
最近、その“誇り”が、どこか重く感じられる瞬間が増えていた。
■ 若手の一言が、胸に刺さる
午前9時。店を開ける準備をしていると、若手職人の由紀が声をかけてきた。
「店主、昨日のお客様のアンケート、見ました?」
「いや、まだだ。何かあったか?」
由紀はタブレットを差し出した。
「これです。“美味しいけれど、驚きはなかった”って」
佐久間は、思わず眉をひそめた。
「驚き……?」
「はい。“昔ながらで安心するけど、記憶に残るほどではない”って」
由紀は悪気なく言った。ただ、事実を伝えただけだ。
だが、その言葉は和人の胸に深く刺さった。
(記憶に残らない……? うちの味は、祖父の代から守ってきた味だぞ)
反射的にそう思った。
だが同時に、自分でもその声を否定しきれない思いを感じていた。
時代が昔とは違う。
世の中には甘味はあふれている。
和菓子だけではない。
洋菓子も都会であれば本当に多種多様なものを手にすることができる。
伝統を守ることが本当に最善の道なのか。
佐久間の心の中で自信が揺らいでいたのが現実にものとなって出てきた瞬間だった。
■ 常連客の言葉が、別の意味を帯びる
昼過ぎ。常連の老夫婦が来店した。
「ここの栗きんとんは、変わらないわよねえ」
「ほんと、昔のままの味だよ」
笑顔でそう言われる。
本来なら誇らしいはずの言葉だ。
だが今日は、胸の奥が少しだけざわついた。
(変わらないことは、喜ばれている……でも、それだけでいいのか?)
老夫婦は続けた。
「最近はどこも新しい味ばかりでね」
「こういう“変わらない味”があると安心するのよ」
安心。
その言葉は、褒め言葉のはずなのに、なぜか今日の佐久間は素直にその言葉を受け止めることができなかった。
言いようもない重さが胸に奥に沈んだ。
■ 古参職人の“正しさ”と、若手の“違和感”
午後。仕込み場で、村井が餡を練っていた。
「店主、最近の若いお客は、味より見た目を気にするようなってしまいましかね」
「う~ん、そうですね……」
「うちはうちのやり方でいい。伝統を大事にし続けますよ。味を守ることが何よりです」
村井の言葉は、正しい。間違いなく正しい。
だが――由紀の言葉が頭をよぎる。
“美味しいけれど、驚きはなかった”
(正しさを守ることと、価値を届けることは……同じなのか?)
その問いが、静かに立ち上がった。
■ 若手の“まっすぐな視点”
夕方。由紀が、試作品の上生菓子を持ってきた。
「店主、これ……見てもらえますか?」
「きみが作ったのか?」
「はい。色合いを少し変えてみました。味は変えていません」
佐久間は手に取った。
確かに、味は変わっていない。そして見た目にほんの少しだけ“遊び”がある。
「……村井さんには、もちろんまだ見せていません」
由紀は、少し不安そうに言った。
「怒られるかもしれないので」
佐久間は、しばらく黙っていた。
村井の言った
「店主、最近の若い客は、味より見た目ばかり気にするな」
という言葉も脳裏によみがえってきた。
(味は変えていない。でも、見た目を変えることは“伝統破り”なのか?)
その問いは、佐久間自身にも答えが出なかった。
果たしてこの由紀の試作品を村井に見せてよいものかどうかも含めて。
■ 夜、仕込み場に一人残って
閉店後。佐久間は一人、仕込み場に残った。
蒸籠の余熱がまだ残っている。餡の甘い香りが、静かな空間に漂っている。
(おじいさんそして親父は、何を守っていたんだろう)
味か。技術か。伝統か。
それとも――“お客様の記憶”か。
(変わらない味を守ることは、本当に“価値”を守ることなのか?)
その問いは、今日一日で、問いとしての形をはっきりと持ち始めていた。
■ 第1話の終わりに
由紀の一言。常連客の言葉。村井の正しさ。
それらが混ざり合い、佐久間の胸に、静かなざわめきを残していた。
(俺は……何を守っているんだろう、いや守ろうとしているのだろう・・・)
その問いは、まだ答えを持たない。
だが、確実に“問い”が生まれた。
そしてその問いは、佐久間を次の一歩へと向かわせようとしていた。
――第2話へ続く



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