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🌿老舗温泉旅館女将物語―社員とお客様から学ぶ経営者―第3話

  • tsunemichiaoki
  • 19 時間前
  • 読了時間: 5分
客


第3話 若手の暴走か?独り立ちか?と、宿が持つ時間の力

――気づきを運んできたのは、お客様だった



■ 夕暮れのロビーに漂う、いつもと違う空気

夕方。チェックインの波が落ち着き、ロビーには橙色の光が差し込んでいた。障子越しの光が床に柔らかい影を落とし、外の庭では風が竹を揺らしている。


和子は帳場で帳簿を整理していたが、ふと、ロビーの一角から聞こえてくる声に気づいた。



真奈の声だ。いつもより少し弾んでいる。声の高さではなく、温度が違う。

(あの子、こんな声の出し方をするんだ…)


和子は、そっと視線を向けた。

そこには、チェックインを終えたばかりのご夫婦と、その前に立つ真奈の姿があった。

説明の“型”は守っている。だが、言葉の端々に、和子が教えていない“何か”が混じっていた。


間の取り方。相槌の深さ。そして何より、表情。


(あれは……私なら、絶対にしない接客だ)


胸の奥がざわついた。




■ 真奈の“踏み込みすぎた”一言

「お客様、先ほど“時間がゆっくり流れていた”とおっしゃっていましたよね」

真奈が、少し身を乗り出すように言った。


和子は思わず息をのんだ。

(そんな踏み込み方、して大丈夫なの…?お客様の言葉に“乗る”なんて、型から外れすぎている)


ご夫婦は驚いたように顔を見合わせたが、すぐに柔らかく笑った。


「ええ、本当に。改めて今回も感じたのですけどね。

ここに来ると、なんだか呼吸が深くなるんです」


「都会のホテルとは違う、っていうか…時間が“とまる”ような感じがして」


真奈は目を輝かせた。


「それ、すごく素敵なお言葉です。私、この宿で働いて三年になりますが、その“時間の感じ方”を、まだちゃんと理解できていなくて…」


(ちょっと、真奈…!)


和子は心の中で叫んだ。お客様の前で“理解できていない”なんて言うなんて。

それは、宿の格を落としかねない発言だ。

だが、ご夫婦は笑顔のままだった。


「いいのよ。あなたの言葉、素直で、なんだか嬉しいわ」


「そうそう。この宿の良さはなあ、建物や料理だけじゃないんだな。“時間の流れ方”なんだと思うよ。

君はここで働いて三年か。

若い人の感性と私たち老境に差し掛かった人間とでは

受け止め方がだいぶ違うんじゃあないかな」


和子は、胸の奥がチクリと痛んだ。


(時間の……流れ方? そんな視点で宿を見たことがあっただろうか)





■ 主客転倒の会話が生んだ“心の交流”

真奈は、まるで何かを吸い込むように頷いていた。


「私、今日初めて気づきました。この宿の“ゆっくりした時間”って、お客様が感じ取ってくださって初めて成立するものなんですね」


ご夫婦は、まるで娘を見守るような表情で微笑んだ。


「そうよ。あなたたちが作っている空間に、私たちが勝手に癒やされているだけ」


「温泉って、そういう場所なんだろうな。豪華さじゃなくて、“戻る”ための場所なんだと思う」


真奈は、胸に手を当てるようにして言った。


「ありがとうございます。なんだか、すごく大事なことを教えていただいた気がします」


(……教えていただいた?お客様から“宿の価値”を教わるなんて)



和子は、言葉を失った。

主客転倒。


だが、そこには不思議な温かさがあった。

ご夫婦は満ち足りた表情で部屋へ向かっていった。

その背中を見送りながら、真奈は深く息をついた。


その顔には、和子が見たことのない


“充実感”


があった。




■ 和子の胸に残った“二つの感情”

和子は、帳場の影からそっと姿を現した。


「……真奈さん」


真奈は振り返り、少し照れたように笑った。


「すみません、ちょっと話しすぎちゃいました」


和子は、すぐに言葉を返せなかった。


(叱るべきなのか… それとも、認めるべきなのか…)


真奈の接客は、この旅館の今までの形式から見れば“暴走”だった。

だが――お客様は確かに満足していた。むしろ、心が通い合っていた。

そして何より、

真奈自身が“宿の価値”に触れた瞬間だった。


(私は……この宿の何を見てきたんだろう)

(この子に何を教えてきたのだろう)


胸の奥に、静かだが確かな痛みが走った。




■ 真奈が気づいた“宿の潜在力”

「女将さん…この宿って、すごい力を持ってるんですね」


真奈は、まっすぐに言った。

「私、今日初めて分かったんです。

“昔ながら”って言われるのは、古いって意味じゃなくて…

その人がその時に感じられるものに

今のせわしない世の中の何かとは違うものがある、

その感覚をゆっくり味わうことができる、それがすなわち

“時間がゆっくり流れる場所”ってことなんじゃないかって」


和子は、返す言葉を持たなかった。


(ゆっくり流れる時間…それが、この宿の価値…?)


真奈は続けた。

「都会のホテルにはない、チェーンの高級ホテルにもない、“和の空間”そして“和の時間”がここにはあるんだと思います」


その言葉は、和子の胸の奥に突き刺さった。

そして静かに沈んでいった。





■ 第3話の終わりに

真奈は、まだ未熟だ。踏み込みすぎることもある。


だが――今日の暴走と思えた言動は、確かに何かを動かした。


お客様の言葉が、宿の価値を照らし出し、真奈の心を揺さぶり、そして和子の中にも、新しい問いを生み出していた。


(この宿の本当の価値は……どこにあるのだろう)

その問いは、次の一歩を求めていた。




――第4話へ続く






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